2025年11月、私は再びポルトガルのリスボンに降り立ちました。大西洋からの湿った風と、石畳の街並みが織りなす独特の哀愁。しかし、MEOアリーナ周辺だけは、未来への期待と熱狂で空気が震えていました。
世界最大級のテックカンファレンス、Web Summit 2025。今年も世界中からスタートアップ、投資家、そしてテクノロジーの巨人たちが集結しました。
昨年のWeb Summit 2024で、Microsoftは「AIの推進には大規模なインフラと電力が必要だ」と力説していました。AIという巨大な頭脳を動かすための「身体(データセンター)」と「血液(電力)」の話です。あれから1年。彼らは新たな、そしてより深刻な問いを私たちに投げかけました。
「AIというツールは手に入れた。では、それをどうやって社会の隅々まで浸透させるのか?」
今年の基調講演で私が最も心を揺さぶられたのは、Qualcommが描くエッジAIのスマートな未来(詳細はこちらの記事で書いています)と対をなすような、Microsoftの泥臭くも本質的なメッセージでした。
それは、AIを浸透させるために必要な3つの要素、「テクノロジー」「タレント(人材)」、そして「トラスト(信頼)」についての物語です。

歴史上最速の進化、その光と影
メインステージに登壇したMicrosoftのブラッド・スミス副会長は、まず「AI Diffusion Report(AI浸透レポート)」という興味深いデータを提示しました。ChatGPTという革命的なプロダクトを持つ彼らだからこそ見える、世界地図の解像度は驚くほど鮮明です。

スクリーンに映し出されたのは、人類史におけるテクノロジー普及のスピードを比較したグラフでした。電気、ラジオ、電話、インターネット、スマートフォン。私たちの生活を一変させてきた数々のイノベーションと比較しても、AIの普及曲線は異常なほどの急角度を描いています。
「The fastest start to tech adoption in history(歴史上、最も速い技術の普及開始)」。この言葉に嘘はありません。私たちは今、かつてない速度で世界が書き換わる瞬間に立ち会っているのです。

意外なリーダーたちと、広がる格差
では、誰がこの波に最も巧みに乗っているのでしょうか?
多くの人がアメリカや中国を想像するかもしれません。しかし、Microsoftが示した「AI導入国ランキング」の1位は、アラブ首長国連邦(UAE)でした。2位にシンガポールが続きます。国家戦略として強力にデジタル化を推し進める小国が、巨人を凌駕しているのです。

一方で、このデータを世界地図に落とし込むと、残酷なほどの「赤」が浮かび上がります。
「An AI divide has emerged(AI格差が出現している)」。
ロシア、アフリカ大陸の大部分、南米、東南アジア。そして残念ながら、日本も決して「グリーン(普及が進んでいる)」とは言えません。グローバルサウスと呼ばれる地域を中心に、AIの恩恵を受けられない巨大な空白地帯が広がっています。

インフラはある。それでもAIが使われない理由
ここでMicrosoftは、非常に重要な視点を提示しました。
「AIが普及しないのは、電気やインターネットがないからだろう」
そう考えるのが自然です。昨年の彼らの主張(参照:2024年レポート)からすれば、インフラ不足こそが元凶のように思えます。
しかし、事実はもっと複雑でした。
世界人口81億人のうち、74億人は電気を利用でき、55億人はインターネットにアクセスできます。インフラは、ある程度整っているのです。
問題は「スキル」です。デジタルスキルを持つ人は42億人。その結果、インフラにはアクセスできるのに、スキルがないために取り残されている人々が39億人も存在するというのです。

つまり、コンセントとWi-Fiがあっても、AIを使いこなすための「知恵」と「作法」を知らなければ、その扉は開かないということです。これは途上国だけの問題ではありません。
都市と地方の断絶
この格差は、一つの国の中でも起きています。開催地であるポルトガルのデータを例に見てみましょう。
リスボンなどの都市部ではAI利用率が高い一方、地方に行けば行くほど利用率は下がります。都市化率とAIユーザーのシェアは見事な正の相関関係を示しています。


これはアメリカのワシントンでも、そしておそらく私が住む東京と日本の地方都市との間でも起きている現象でしょう。
情報は都市に集積し、便利なツールは都市の住人をさらにエンパワーメントする。その一方で、地方は取り残され、格差は拡大していく。テクノロジーが進化すればするほど、物理的な場所の有利不利が加速するという皮肉な現実がここにあります。
言語の壁、文化の壁
さらに、CityNomixとして見過ごせなかったのが「言語」の問題です。
インターネット上の情報の多くは英語で書かれています。AIのトレーニングデータも同様です。

英語はLLM(大規模言語モデル)の学習データの46.0%を占めていますが、スペイン語のネイティブスピーカーが英語より多いにもかかわらず、学習データとしてはわずか4.6%に過ぎません。
これは何を意味するか。AIは「英語圏のロジック、文化、価値観」で思考する傾向が強くなるということです。日本語や他の言語のユーザーにとって、AIはどこか「よそよそしい」存在であり続けるかもしれません。これもまた、AIが真にローカルに浸透することを阻む見えない壁なのです。

AI浸透の鍵を握る「3つのT」
国による格差、都市と地方の格差、言語の格差。
これらの壁を乗り越え、AIを真に社会に実装するために何が必要なのか。Microsoftのブラッド・スミス氏は、3つの要素を提示しました。
Technology(テクノロジー)、Talent(タレント)、Trust(トラスト)。

テクノロジーは既にあります。ChatGPTやGemini、Copilotといったツールは日々進化しています。
次に必要なのは「タレント(人材)」です。AIを使いこなすスキルを持った人々を各国、各地域で育成すること。これは先のデータが示した「39億人のギャップ」を埋めるための急務です。
最大のハードルは「トラスト(信頼)」
そして最後に、最も難しく、かつ本質的な要素が「トラスト(信頼)」です。
たとえ素晴らしいテクノロジーがあり、それを使える人材がいたとしても、人々が「AIは信頼できる」と思わなければ、普及はそこで止まります。
「なるほど、トラストね」
講演を聞きながら、私は深く頷いていました。これは私の肌感覚とも強く一致するからです。
日本に帰って周りを見渡すと、AIを使わない人の多くは「使い方がわからない」以前に、「なんとなく怖い」「信用できない」という感情を抱いています。
「自分の仕事が奪われるのではないか」
「間違った情報を教えられるのではないか」
「個人情報が流出するのではないか」
便利なのは頭ではわかっている。実際に私がCopilotを使って資料作成を効率化している様子を見せると、「すごい!自分でもできそう」と目を輝かせることもあります。しかし、そこから自分一人で日常的に使い始めるまでの間には、見えない「心理的な壁」が存在します。
中には、セキュリティへの懸念から社員に生成AIの利用を一切禁止している大企業もあります。リスク管理としては理解できますが、世界が秒進分歩で進化している今、それは「何もしないリスク」を最大化しているようにも見えます。
信頼がないから使わせない。使わないから理解が進まない。理解が進まないから信頼が生まれない。この負のループこそが、日本におけるAI浸透の最大のボトルネックかもしれません。
CityNomixの視点:信頼を築くための第一歩
Microsoftの主張は明確でした。「タレントの育成を進めながら、同時にAIに対する信頼を獲得していくこと」。
これは私たち一人ひとりへの宿題でもあります。
AIに対する「トラスト」は、技術的な安全性だけで醸成されるものではありません。「AIは私たちの敵ではなく、人間の能力を拡張するパートナーである」という成功体験を積み重ねることでしか生まれないのです。
まずは私たちが、小さな成功体験を周囲に伝播させていくこと。失敗談も含めて(ハルシネーションで変な回答が返ってきた笑い話でもいいのです)、AIを「得体の知れない魔法」から「便利な道具」へと着地させていくことが、信頼構築の第一歩になるのではないでしょうか。
Web Summit 2025、リスボンの熱狂の中で感じたのは、テクノロジーの進化への興奮と、それを社会に根付かせることの難しさでした。
「歩いて、撮って、書く」。Photomoの活動を通じて、私もまた、この新しいテクノロジーと人間の関係性を、誠実に記録し続けていきたいと思います。
今回の旅のまとめ
- 訪問場所:Web Summit 2025 (MEO Arena, Lisbon)
- 印象に残ったこと:AI普及における「信頼(Trust)」の重要性
- 次のアクション:周囲へのAI活用事例の共有と、スキルアップの継続



